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インタビュー INTERVIEW 
9月30日(土)公開『エタニティ 永遠の花たちへ』
のトラン・アン・ユン監督 オフィシャル・インタビュー           
『青いパパイヤの香り』や『ノルウェイの森』で知られるトラン・アン・ユン監督の新作は、9月30日(土)からシネスイッチ銀座ほかで公開される『エタニティ 永遠の花たちへ』。そのオフィシャル・インタビューを紹介する。
アリス・フェルネの原作をもとに、ある一族の一世紀にわたる生きざまを描いた大河ドラマだが、生と死の繰り返しを淡々ととらえてゆくトラン・アン・ユン監督の演出は実験的で、哲学的でもある。その考えの一端がこのインタビューからもうかがえる。出演はオドレイ・トトゥ、メラニー・ロラン、ベレニス・ベジョ、ジェレミー・レニエほか。
 

――『エタニティ 永遠の花たちへ』は、ひとつの家族が一世紀にまたがり織り成した激動の渦に観客を誘う物語です。このテーマを選択したのはなぜでしょう?

 僕は1962年にベトナムで生まれ、1975年に両親、弟とともにフランスにやってきました。ほかの親戚は戦争によってばらばらになっています。映画の原作、アリス・フェルネの『L’Élégance des Veuves(原題、訳:未亡人たちの優雅さ)』を読んで僕は衝撃を受けました。僕の家族は3人だけで、ずっしりと根を生やした家族の経験がないと感じる人間として、僕は大家族の親子の関係や家系の物語に圧倒されたのです。この本のテーマに心を揺さぶられたのはこうした理由です。大家族には揺るぎのなさや永続性を感じます。これは素晴らしいことだと思います。

――テーマに感動して映画を制作しようと突き動かされたのですか?

 いいえ。物語やテーマだけでは決して十分ではありません。そこには映画的に面白いアプローチの可能性、僕にとって新鮮な何かを訴えるものがなければなりません。アリス・フェルネの本は陽気で、フォーマルな冒険から成り立っています。ほとんど会話のない、そして小川の水が流れるように展開するこの物語は、かなり独特な試みが可能だろうと考えました。もちろん、あらゆる映画の目的は、観客に深い感動を引き起こすことです。
 本を置いた時、僕はとても感動して僕の最初の映画のプロデューサー、クリストフ・ロシニョンに電話をかけました。宙に浮いているような気分でした。僕はこの本からこれまでにないタイプのかなり感動的な映画が出来上がるだろうと思いました。心の動きや人としての関わり合い、人との衝突といったものを超えたところで、人間として胸を刺すような感情を抱かせてくれるテーマに出会えるのは、滅多なことではありません。

――全編を通して感情に訴えるものがあります。目に見えないものをどのようにしてカメラに収めたのでしょう。

 シーンという概念を捨てることによってです。映画の中にはこれといったシーンがありません。ただ過ぎ行く状況を描写しているだけです。容赦なく時間に引っ張られ、ただ流れていくのです。映画人として、それは大きな賭けでした。なぜなら僕は学生時代、一日の終わりに良いシーンをフィルムに収めたと確信することがまったくできないタイプだったからです。厳密に言えば、撮影したものは初めも終わりもない、短い状況を繋いだ描写にすぎません。僕が本を読んで感じたこと、つまり非常に特別な感情を観客の中に再構築するのは、極端なリスクを冒してのみ実現可能でした。この映画は、100年間続いたひとつの音楽的な動きのようである必要がありました。

――シーンを手放すことについて、さらに詳しくお話しください。この映画はその時々の瞬間で構成されています。こうした様々な瞬間と、いわゆるシーンとを区別するものは何でしょう?

 シーンには、現在において示される行動という考えがあります。それが回想であっても。例えば、あるシーンにはふたりの人間の物理的あるいは心理的な対立があります。『エタニティ 永遠の花たちへ』では、通常のシーンでの展開や処理が期待できるシーンはありません。この映画には、ふたつの基本的な概念が根底にあります。生と死です。一種、魂の棚卸です。こうした考えのもと、時間という暗号や描写的で伝統的な表現法を用いて、愛や結婚、友情といったテーマが展開されます。そして、あらゆる無関係な細かい部分は、容赦ない時間の流れを映し出すために取り除かれます。現在と過去が混在するこの時間の流れは、思考と感情を衝突させ、ひとつのイメージから次のイメージに移る経過の即時性を通して、物語をより深くより詩的に読み込ませるのです。たとえば、マチルドとアンリは婚約の場面で婚約しません。ですが、婚約に先立つイメージの中でわれわれが見る彼らの幼少時代、子どもの頃、ふたりは空想の自転車で遊び、マチルドはアンリの顔に向かって息を吐き出します(鼻をかみます)。同様に、ふたりの結婚は、彼らが神父の前に立っている時には起こりません。でもマチルドの心の中では、ハネムーンで長い遊歩道を歩き、その時に結婚生活についての不安と希望を明確に述べています。ガブリエルとシャルルはまだ終わっていないハネムーンの翌日、結婚します。シャルルはハネムーンの夜、独白で彼とガブリエルを結びつける縁のようなものを先に表現しています。時代の慣習に従いながらも、登場人物たちはそれぞれの私的な生活のなかで、その社会的な儀式に対して深く個人的な意味合いを持たせることができる空間を何とか見つけます。四人を結びつける友情の強さと正直さは、アンリとガブリエルが時代の慣習に挑んで一緒になり、彼らの家族をひとつ屋根の下に集わせることに成功したことにもつながります。

――そうした時代に対して懐かしさを感じますか?

 そうした時代に懐かしさはありません。懐かしさとは、ひとが経験した楽しい記憶に結びついているからです。僕はそうしたものを経験することなく生きてきました。そうしたものを受け継ぐこともありませんでした。僕はベトナム人です。私が生まれたのはとてつもない僻地で、サルが咳き込むのが聞こえるほどだと言われていたような場所です。両親は労働者です。母は読み書きができません。父は祖父が亡くなったため9歳で学校を辞めて、貧しい家族を支えるために仕立て屋に奉公に出されました。1975年、パリ19区のRue Rébévalに僕たち家族を下ろしたタクシーに代金を支払ったあと、父のポケットには17ドルしか残っていませんでした。
 フランスに着いた次の日から父は働き始めました。こうしたことを話すのは、僕には映画の中のブルジョワ的なものとは何の共通点もなかったことを言うためです。高校時代にはそうしたひとたちと付き合いました。僕の友人には外交官の息子や大臣の甥なんかがいました。僕が文学や音楽をともに味わった少年たちです。
 本の中で感動したのは時代的なことではありません。時間の抑えきれない流れという視点です。男と女が出会い、恋に落ち、子供をつくり、死んでいきます。そして残された子どもたちは自分たちの子どもをつくります。僕は結婚生活での諍いや人生のさまざまな問題は描きません。この映画には通常映画を構成するような出来事や情報がありません。僕はただ、人の死を通して、人の誕生を通して、お互いを抱きしめ合うことを通して、人生の永続性という感覚を観客に与えることに、ただ専念したのです。母国では言ったものです。「Éternité (永遠)はétreinte(抱きしめること)の綴り変えである」と。

――映画で男性たちは仕事や戦争に行きますが、女性たちは子どもを抱えています。『エタニティ 永遠の花たちへ』は誤解を生むことはないでしょうか?

 この映画は、実際過去に存在し、いまは存在しない世界を見せています。これは著者であるアリス・フェルネの家族の物語です。この物語は階級に苦しむことや女性解放というテーマには取り組んでいません。僕は最初に本を読んだ時に、僕をインスパイアした感情を維持したまま、原作をそのまま映画化したかったのです。この映画は人生、愛、時間の流れに寄せる讃歌です。そしてもっと広げて言うと、夫婦間の愛に寄せる讃歌です。観客は男女がともに生きることを誓い、何かをつくり上げて行く姿を見ることになります。あるいは少なくとも破壊したりしない姿を。

――音楽はどのように選びましたか?

 10代の頃、僕はオペラや室内楽に情熱を注いでいました。映画制作については音楽から多くを学んだと考えています。『エタニティ 永遠の花たちへ』に関しては、僕がよく知っているクラシック音楽のレパートリーから引っ張ってくることに決めました。なぜならこの映画のイメージは、ストーリーを語るためのものではなく、時間の容赦ない流れによって行き着いた状況を流動的に作り上げるものだからです。僕が用いたある種の音楽は「ナレーション」の役を担い、登場人物の内なる感情を上手く反映させています。同時にこうした音楽は、観客と作中の悲劇との間のほどよい距離を維持させるのにも一役買っています。音楽はナレーションと結びついて功を奏しています。ふたつが組み合わさって、尋常ならざる深い感動で紐解かれる物語をつくり上げています。

――キャストはどのように選びましたか?

 非常にシンプルです。キャラクターについては考えがありました。僕の考えと合致する役者かどうか確かめるために、俳優たちに会ったわけですが、彼らは正しいひとたちでした。現場は素晴らしく調和がとれていました。彼らがキャラクターに命を吹き込もうとしても、シーンを拠りどころに土台づくりに取り組むことができなかったので、撮影は彼らにとって非常に困惑するものだったと思います。究極の本質に迫るため、この映画にシーンはないのです。俳優たちから発せられる存在感と人間性が、この映画の本質です。
 撮影前、僕たちはみんなでミーティングをしました。彼らが僕を信じてくれたお返しに、僕はひとつの約束をしました。彼らがセットで見せてくれるものは、人々を圧倒する表現であり、スタッフはそれを映画の脚本を通して順番に並べて行くから、という約束です。約束が守られているといいのですが。オドレイ・トトゥやメラニー・ロラン、ベレニス・ベジョはしっかりついて来てくれ、金銭面を含むいろいろな紆余曲折があったにもかかわらず、この企画に留まってくれました。彼らの忍耐力があってこそ、この映画の完成がありました。撮影前のあらゆる困難を乗り越えたあと、一緒に仕事ができたことが、大きな喜びだったのは言うまでもありません。                                                   
                                                       (2017年9月23日 シネマカルチャー記)


                              エタニティ 永遠の花たちへ
                                   ETERNITE

■Staff&Cast

監督/脚本:トラン・アン・ユン
出演:オドレイ・トトゥ/メラニー・ロラン/べレニス・ベジョ
2016年フランス=ベルギー(115分)
配給:キノフィルムズ/木下グループ
原題:ETERNITE
9月30日(土)からシネスイッチ銀座ほかで公開
photo(c)Nord-Ouest

■トラン・アン・ユン監督 TRAN ANH HUNG

1962年 ベトナム出身。75年にベトナム戦争から逃れて両親、弟とともにフランスに移住。エコール・ルイ・リュミエールで映画制作を学び、93年に『青いパパイヤの香り』で長編映画監督デビューした。同作品はカンヌ映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)とユース賞を受賞。またセザール賞の新人監督作品賞にも輝いた。2作目の『シクロ』はベネチア映画祭の金獅子賞を獲得。また2010年には村上春樹のベストセラーを映画化した『ノルウェイの森』を日本で撮影している。






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